仏教語から出た日常語・ことわざ(26) シリーズ(208)
如来(にょらい)
私達は「如来」と聞きますと、釈迦如来とか阿弥陀如来などを思い浮かべます。
如来という意味は、「如」すなわち如実=真実の通りであること=あるがままの事実に、迷いの自分が気づかされるという体験を表現したものです。つまり、真実を「如」といい、それが私に「至り来る」という出来事を「如来」と呼んだのです。
そのような意味から、如来はほとけ様の尊称として使われます。「かくの如く行ける人」、すなわち、修行を完成し、悟りを開いた人の意味で使われ、後に「かくの如く来たれる人」、すなわち、真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人と解し、如来と訳されました。
このように如来は、修行を完成し、悟りを開いて、悩み迷える我々衆生を救ってくださるほとけ様なのです。菩薩(ぼさつ)と呼ばれるほとけ様もおられますが、この方は、悟りを求めて修行中のほとけ様といわれており、修行の一つとして悩み迷える衆生を救ってくださるといわれています。
如来の尊称をつけて呼ばれるほとけ様には、釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来・大日如来・阿 (あしゅく)如来・宝生如来・無量寿如来・不空成就(ふくうじょうじゅ)如来・宝憧(ほうとう)如来・開敷華王(かいふけおう)如来・天鼓雷音(てんくらいおん)如来・毘廬遮那(びるしゃな)如来などがあります。
如来様や菩薩様に導かれ救われて、六つの徳目(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を実践するよう努力してまいりたいものです。
参考文献 「大法輪第72巻」 大法輪閣
「広辞苑」 岩波書店
「仏像案内」 吉川弘文館
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